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授業情報 LESSON

授業情報
2021.10.12
読書の愉しみpart14~本学教員がみなさんにお薦めの本を紹介します~

坪田 信貴『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶応大学に現役合格した話』
KADOKAWA,2014.
 この本は、数年前に映画化もされた通称ビリギャルの原作本である。本のタイトルにあるように、学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶応大学に現役合格した実話である。
 主人公のさやかちゃんは、金髪、へそ出しギャル。高2の夏、この本の作者である塾講師、坪田先生の前に現れた。出会った頃のさやかちゃんは、英語ではStrongの意味が分からない、日本史に至っては、聖徳太子を“せいとくたこ”と読み、「この女の子、超かわいそうじゃね?だって、この子、きっと超デブだったから、こんな名前つけられたんだよ。」と・・・。
 このエピソードを聞いて、きっと多くの人が、この子が1年後に慶応大学に合格するなんて絶対無理、と思ってしまったのではないだろうか。
 しかし、この本の冒頭部分には、こんなメッセージが綴られている。
 “あなたには 「自分にはゼッタイ無理」って いつしかあきらめてしまった 夢がありませんか?”“でも、僕は 人間にとって一番大事なのは このゼッタイ無理を 克服した体験だと思っています”“大丈夫。ちょっとしたコツを知るだけで あなたにもそれができます”“この奇跡は あなたにもきっと起こります。”と
 メッセージの通り、本を読み進めていくうちに、坪田先生とのやりとりから、さやかちゃんの変化が手に取るようにわかってくる。そして1年後、彼女は本当に、慶応義塾大学総合政策学部へ合格するのである。
 「なぜ、彼女が慶応大学に合格することが出来たのか?」
 この問いへの答えは、この本を手に取った皆さん自身で是非見つけてほしいと思う。
 また、原作本には、映画では描かれなかった受験を突破するための具体的なHow to(ノートの取り方やマークシート問題の解き方等)や家族とのエピソード(特に、彼女の合格に大きな影響を及ぼした母親、“ああちゃん”の存在)が詳細に書かれていて、大学受験や国家試験を控えた受験生、また受験生を持つ親御さんにもお勧めしたい1冊である。

(看護学部 川田智美)

 

佐治 晴夫『14歳のための物理学』春秋社、2011年 1月
看護に物理学の知識が必要!?
 高校生の皆さん!物理って「分かりづらいし難しい」なんて思っていませんか?実は、物理学や生化学・生理学は、看護の仕事に欠かせない分野なのです。例えば患者さんの身体を支える時や移動させる時、身体のどこを起点にして支持すると、患者さんはもとより看護者の身体に負担をかけず楽に動かせるというのは、物理学「力学」が基本となっているのです。また、高齢者や筋力低下のある患者さんなどの介助をするとき、立ち上がるためには、まず上体を前傾しなければ立ち上がれません。このような物理学の理論を知っていれば、患者さんの真正面に立つのではなく、少し横に看護者は立ち、患者さんの立ち上がりを支えると共に安全に介助するための立ち位置や手を差し伸べる位置が決められると思います。
 更に、医療処置の点滴についてです。点滴といえば高い位置に輸液ボトルを吊るし、薬を投与していますね。しかしなぜ高い位置に吊るす必要があるか?点滴はなぜポタポタと落ちるのか?これは、薬を決められた時間で一定の量を投与するために欠かせません。これらも物理が関係しており、落下速度や周囲の環境による気圧、季節や気温により、その大切な薬を確実に投与するため、適切な高さが決められています。
 患者さんの命に直結する医療行為は、安全かつ慎重に行われなければなりません。少し脅かすようなお話をしてしまいましたが、ちょっとした物理学的な理解をしていれば、患者さんに対して安全で適切な看護をするための思考や予測行動ができると思います。
 紹介している図書は、私たちの生きている自然界の物理現象を事例とともにわかりやすく書かれており、とても読みやすい本です。
 看護職を目指す高校生の皆さん、物理学的な理解を知って看護を行うのと、知らないまま行うのとでは大きな差があります。わかりやすい物理のお話から入り、看護を専門的に学んでみてはいかがでしょうか。物理学は決して難しくありません!

(看護学部 中山洋子)

 

杉 晴夫『筋肉のふしぎ 力を生み出すメカニズム』
講談社ブルーバックス、2003年12月
 高校の理科で、骨格筋の収縮がミオシンフィラメントとアクチンフィラメントの間の相互の滑り運動で起きることを学んだ人も多いと思います。しかし、教科書というものは限られたスペースに多くの単元を盛り込まねばならず、そのために読者—この場合は学習者と言うべきでしょうか—の興味を引く「チコちゃんに叱られる」のような素朴な疑問、例えば「運動後の筋肉痛は何故起きる?」や「トレーニングにより何故筋肉の運動能力は向上するのか?」のような話は必然的に削除されています。
 教科書によってはこのような面白い話をコラムの形で補っているものもありますが、筋肉に関してはあまり見かけません。ではそれを補うような初学者にも分かりやすく書いた一般書はというと、筋肉の分野ではここに紹介する本を除くと類似の本はほとんど見かけません。
 この『筋肉のふしぎ 力を生み出すメカニズム』は力を発生する部分を自動車のエンジンのシリンダーになぞらえるなど、豊富なたとえ話により分かりやすく解説するとともに、先に挙げたような素人の興味をそそる話も盛り込んで楽しく読めるように工夫してあります。
 この本は筋肉に興味のある人は是非一度手にとって頂きたい一冊です。

(医療技術学部 依藤 宏)

 

 

河合 良訓『臓単(ゾウタン)』エヌ・ティー・エス、2005年11月
 医学用語は難しい。医療職への道を志した学生の多くが感じることだと思います。特に解剖学などでは、何と読めば良いのやら皆目見当がつかない用語も沢山。そんな医療分野を学んでいこうとする全ての人にお勧めの一冊が、『臓単(ゾウタン)』です。
 書籍の分類としては「単語集」なのでしょうが、この書籍は単なる「単語集」ではありません。日本語にも英語にも医療用語の「語源」について詳細に解説されているのです。これが実に面白い。『「僧帽弁」って、あれが由来だったの!?』と、自分の専門分野でありながら、改めてその語源に感心することも多く、調べ物ついでについつい読み耽ってしまいます。
 この単語集を読むと、医学が古い歴史を持つ奥深い学問であり、それを経て現在の医療が成り立っているのだと感じることができます。
 書籍には、恋愛小説ものから、ミステリー、歴史、雑学、旅行本、自己啓発ものなど、多種多様なものがありますが、今回は、医療・福祉を学ぶ皆さんへ、少し趣向を変えた「読書の愉しみ」もあることを知っていただければ幸いです。

(医療技術学部・立原 敬一)

 

 

清水克行『室町は今日もハードボイルド―日本中世のアナーキーな世界―』
新潮社、2021年6月
 日本人は温和だ、礼儀正しいと言われて久しいが、日本人は古よりそんなに温和で礼儀正しかったのだろうか。それともこの民族性は作られたものなのだろうか。今から85年前の日本人(昭和期)ですら、今の視点からすると、かなり眉を顰めるような光景が広がっていた。永井荷風『断腸亭日乗』を紐解くと、そんな日本人がちょくちょく記されている。一例を挙げてみよう。


 九月初七日 晴。朝の中既に華氏九十度の暑さなり。夜隅田公園を歩む。芝生腰掛池のほとりなど処を択ばず殆ど裸体にひとしき不体裁なる身なりの男大の字なりに横臥するを見る。是不良の無宿人にはあらず。散歩の人ならずば近巷の若い者なるべし。女を連れ歩むもの亦尠からず。およそ東京市内の公園は夏になればいづこも皆斯くの如く、紙屑とばなゝの皮とのちらばりたるが中に、汚れたるシヤツ一枚の男の横臥睡眠するを見るなり。

(永井荷風『断腸亭日乗』昭和十一年九月七日)


 解説をすると、夜散歩に出た荷風はある光景を目撃する。それは公園内に裸に等しい格好の男性が、ところかまわず横になっている。どんな男性かと見てみると、近所の若者であろう、と推測する。東京都内の公園は夏になるとどこも彼処も似たようなもので、紙屑とバナナの皮がちらばり、汚れたシャツを着た男が寝ているのを目にする、といった趣旨である。これが85年前の東京の夏の光景であった。今の日本人のマナーのよさとは雲泥の差である。
 サッカーの世界的大会の競技場で、ごみ拾いをする日本人が真の日本人の姿なのだろうか。はたまた、ハロウィンだといって渋谷センター街で飲み散らかすあの醜態こそ、真の日本人の姿なのだろうか。わたくしは日本を貶めようとしてこのようなことを書いているのではない。ステレオタイプな言論に満ち溢れ、それを疑うこともなく受け入れ、再生産されることを憂慮するのである。
 前置きが長くなったが、この『室町は今日もハードボイルド―日本中世のアナーキーな世界―』こそ、従来の「温和」とされている日本人像に「まった」をかけた、痛快な読み物である。室町時代の日本人は武士も僧侶も農民もこんなにも個性的で「ハードボイルド」だったのか、と実感させてくれる。簡単に言えば、この時代の人々は「やられたらでやり返す」という、話し合いで解決しようなんて考えはさらさらない。もちろん「やられたらやり返す」のであって、いきなり暴力で訴えるわけではない。僧侶は敵対する者がいれば「呪詛」をかけ、武器を手にして攻めに行くのは日常的な光景であった。浮気された女房は不倫相手の家に襲撃に行く。もう、何てワイルドなのでしょう。
 もちろん、彼ら室町人には室町人の道徳がある。それが今の我々と基準が異なるだけである。歴史を読むということは、自分の価値観、または今生きている時代の価値観だけで物事を図ることができないことに気づかせてくれることにあろう。そのことを筆者は次のように言っている。


 自分と異なる社会を『理解』するということは、現在、私たちが生きている社会がすべてではない、といことを知るための第一歩でもある。みずからの生きている社会が絶対ではないと認識することは、その社会を変えていく勇気にもつながる。また、みずからの価値観を相対化できる者は、それと異なる価値を奉ずる人々にも寛容になれるのではないか。日本中世の社会を学ぶということは、現代社会の不寛容を和らげるトレーニングともなるはずであると信じたい。

(『同書』おわりに)


 この本を読めば、あなたが思い描いている「武士」や「日本人」のイメージに変化がもたらされることを請け負います。暴力むき出しの日本人を勉強の合間に是非読んでみてください。

(社会福祉学部 岡野 康幸)

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