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2023.05.22
読書の愉しみpart3 ~本学教員がみなさんにお薦めの本を紹介します~

白石 良夫『本居宣長「うひ山ぶみ」全訳注』講談社学術文庫、2009年4月

 江戸時代中期から後期にかけて活躍した本居宣長(1730~1801)という人物の名前は、日本の義務教育の中で必ず採り上げられます。その際に付けられるフレーズが「国学の創始者」または「『古事記』の注釈者」といったところでしょうか。その通り、間違ってはいません。しかし、だからこそ質が悪い。何故って、それは名前を憶えて「はい、終わり」になるからです。もっとも別の角度から言えば、強制的にせよ、名前を覚えてもらえるだけありがたいだろう、という考え方もあるでしょうが。

 でも、考えてみてください。日本史の教科書で取り上げられる人物は、大体が政治に関わっている人物です。文化の面で取り上げられる人物で、小学校の歴史の教科書から高校まで一貫して取り上げられる人物が果して何人いるでしょうか。本居宣長はその稀有な例なのです。名前だけ憶えて「本居宣長、古事記伝、はい、終わり。」では、余りにももったいないのです。

 かく言うわたくしも宣長に対する印象は「『古事記伝』の著者でしょう」そして「偏狭的なナショナリスト」というものでした。しかし、『うひ山ぶみ』を読んでみると宣長は想像していたようなナショナリストではなかったのです。つまり、偏狭的な人物ではなく、温厚な、市井に住む篤実な人物だったのです。ただし、宣長には後世のナショナリストに繋がる要素が内在しています。

 さて、今でこそ我々は『古事記伝』の著者としての本居宣長を知っていますが、宣長の日常は『古事記』の研究や門人への講義で生活費を稼いでいたわけではありません。日常の宣長は「町医者 本居宣長」なのです。本職は医者です。したがって、昼間は薬箱(宣長は薬箱の覆いに「久須里婆古」と書いています)を提げて往診に向かいました。時には片道25キロ近くある伊勢まで歩きました。そして、夜になりそこで始めて自分の研究や門人への講義をしたのです。宣長自身が手紙で「忙しくて最近は勉強に手が付けられない。」とぼやく時もあったのです。したがって宣長は研究や教育だけをしていたわけでは決してないのです。では、どうすれば自分の研究や学問を突き詰めることができるのでしょうか。そのことを述べたのがこの『うひ山ぶみ』です。

 基本的に『うひ山ぶみ』は国学(日本本来の在り方を問う学問)の入門書です。どのように国学を学んでいくべきか、何を読むべきかを初学者向けに書いた本です。しかし、わたくしはそのようには捉えません。むしろ、どのような状況下でも心折れることなく、時間がかかってもいいから頑張れよという、宣長から学問に志す人へのエールだと思っています。このことを宣長は次のように言います。なお括弧内は私の意訳です。

詮ずるところ学問は、ただ年月長く倦(うま)ずおこたらずして、はげみつとむるぞ肝要にて、学びやうは、いかやうにてもよかるべく、さのみかゝはるまじきこと也、いかほど学びかたよくても、怠(おこた)りてつとめざれば、功(いさおし)はなし、(結局のところ学問とは、ただ長い年月を飽きずサボらず一生懸命に執り行うことが重要であって、どのような学び方であってもよく、学び方だけに関わることではない。如何に学び方がよくても、サボって一生懸命に取り組まなくては、功績はない。)

この宣長の言葉こそ、まさに学問の要諦です。これ以外の何物でもありません。コツコツと一歩ずつ進めていくしかないのです。これは研究のみならず受験勉強もそうなのです。

 このようなことを書くと、「わたしと違って宣長は頭がいいんだよ。無理無理。」という声が聞こえてきそうです。しかし、宣長ははっきりとこのように言います。

されば才のともしきや、学ぶことの晩(おそ)きや、暇(いとま)のなきやによりて、思ひくづをれて、止ることなかれ、とてもかくても、つとめだにすれば、出来るものと心得べし、すべて思ひくずをるゝは、学問に大にきらふ事ぞかし、(才能がない、学問を始めるのが遅かった、時間がないと言って、絶望してやめてはいけない。とにかく、一生懸命に取り組めば、できるものと心得なさい。絶望は、学問にとって一番いけないことだ。)

どれも、突き刺さる言葉ばかりです。

 宣長がこの「うひ山ぶみ」を書いたのが数え年の69歳。この年(1798年)に『古事記伝』を書き終えた宣長が門人の願いを受け容れ書いたものです。したがって、先に引用した言葉はまさに宣長の経験に裏打ちされて発せられた言葉なのです。ただのお説教でも頑張れよといった、通り一辺倒の言葉ではないのです。

 古来、どのように学ぶべきか、学習者を奮励するような言葉は多々あるのでしょうが、宣長のような血の通った励ましをわたくしは知りません。中国の古典にあるのかも知れませんが見出せません。

 なぜ、あなたは受験勉強や学問をするのか。「思ひくづをれ」そうになった時に、宣長の言葉を思い出してみてください。

(社会福祉学部 岡野 康幸)

 

本山 博『愛と超作 神様の真似をして生きる』宗教心理出版、1996年11月

 著者は「超作」について、或る行為をする場合、結果を求めないという行為というのは勿論無い。だから結果を求めて行為をするけれども、行為をする時に、その結果がどうであるかということを忘れてしまう程に行為そのものになりきること。この行為をする前に、自分がこの行為をすることによって少しでも他の人が助かるように、あるいは他の人に役に立つように念じること。そして、「超作」の根底にあるものは「愛」であり、目指しているものが完全にできるようにするには「智慧」が必要である。さらに、人を助ける、人の役に立つということが一つの目標になって行為をする時には、そこに自ずから社会性というのができてくると述べています。

 看護師を目指している学生の中には、看護観として「人に寄り添いたい」という思いを持っている人がいると思います。私もその一人であり、現在は看護師や保健師、養護教諭になりたいという思いを持つ学生の心に寄り添いたいと考えています。

 ここ数年ですが、自分自身の心とうまく会話できない学生と関わることがありました。人間は、タテマエとホンネを分けながら生きていると思います。しかし、「超作」を妨げるものに「感情」があり、この感情のコントロールができないことにある。特に怒りや恨みの感情は自分で自分を縛ることになり、それにとらわれていると自然に周りが見えなくなり、抜けられなくなるとありました。人に寄り添えるようになるには、まずは自分自身のホンネを知ることが大切だそうです。平穏な心で自分のホンネを知ることはなかなか難しいことかもしれませんが、「今、自分はこう思っている(感じている)」と第三者の立場で見られるようにできるといいそうです。(方法に関しては、さまざまな啓発本が出版されていると思いますのでここでは割愛します)

 自分のホンネを知り、自分の心をコントロールできるようになったら、次は相手のホンネを知ることです。相手のホンネを知るには思いやりを持って、相手が成り立つようにという気持ちで関わること。相手のホンネを知りたいという思いはあっても、なかなか相手が成り立つように関わるという行動に至るまでが難しいですね。しかし、看護師にはこの部分が求められているように思います。

 「超作」とは人のためにする、あるいは事柄そのものが成就するように、自分のしていることが人の役に立つようにと思って「する」だけで、結果を求めない自分となり、相手の気持ちがよくわかるようになることである。私もこのような「超作」を実践していけるような日々を送れるように成長したいと思えた1冊でした。

(看護学部 上田 葉子)

 

本田 真美『医師のつくった「頭のよさ」テスト~認知特性から見た6つのパターン~』光文社新書、2012年6月

 私たちは日々の生活の中で、「頭がよい」という言葉を聞くことがあります。「頭がよい」とはどういったことを指すのでしょうか?単に学校の学習成績がよくても、社会で成功するとも、幸せに生きられるとも限りません。その答えを紐解く一つがこの書籍だと思います。

 人にはそれぞれ生まれつきの認知特性があります。例えば、「見た情報」を処理することが得意なタイプ、文字や文章など「読んだ情報」を処理することが得意なタイプ、会話や音楽など「聞いた情報」を処理することが得意なタイプなどです。

 筆者の本田氏は、認知特性を①写真のように二次元で思考するタイプ、②空間や時間軸を使って三次元で考えるタイプ、③文字や文章を映像化してから思考するタイプ、④文字や文章を図式化してから思考するタイプ、⑤文字や文章を耳から入れる音として情報処理するタイプ、⑥音色や音階といった、音楽的イメージを脳に入力するタイプの次6つに分類しています。

 皆さん、改めて周囲の家族や友人について考えてみてください。道に迷いやすい人、パズルが苦手な人、言葉の表現が苦手な人、イラストが苦手な人など、人によって苦手なこと(得意なこと)に差があることに気づくと思います。推しのアイドルの新曲を初めて聴いて「この歌詞良いね」と直ぐに歌詞が理解できる人もいれば、曲の旋律は覚えられるけど歌詞は聞き分けられないという人もいると思います。これが認知特性です。

つまり、同じ場面を見たり聞いたりしても、誰もが同じように理解するわけではありません。同じことを考えていても、同じように表現するわけではありません。これは、他者と関わるうえで非常に重要な視点です。同調圧力が強い日本では、画一的な教育や行動が求められがちです。それ自体は良い面もたくさんありますが、一方では人間が生得的に持っている認知機能の凸凹に配慮しきれないため、息苦しくなってしまう人もいます。

 著者の本田氏は「一人ひとりに生まれながらに備わっている資質や能力を最大限に活用できる人」こそ、真に頭がよい人だと述べています。自分の認知特性を理解することは、仕事や社会生活で自分のスキルを上手く伸ばすことにつながります。さらに、自分自身だけでなく、周囲の人の認知特性も理解できれば、社会や家庭の中での自分自身の立ち振る舞いが良い循環に変わってきます。

 この視点は、子育てや教育、ケア、リハビリテーションに通ずる基本的な事項です。自分が努力しても難しいことをサラッとやってのける友人を見たり、自分が簡単にできることを友人が苦労している場面を見たりして不思議に感じた方は、是非この本を読んでください。新しい視点を発見できるとともに、より楽で豊かに生き方につながると思います。

(リハビリテーション学部 山口 智晴)

 

尾 一洋『「キングダム」に学ぶ乱世のリーダーシップ』2016年3月

 「キングダム」という漫画はご存じでしょうか。中国の春秋戦国時代を舞台に下僕である信という少年が、天下の大将軍を目指して突き進む物語です。今回紹介する本は、このキングダムという人気漫画をベースとして経営コンサルタントの作者が「リーダー」をテーマとして書いたものです。

 そもそもリーダーとは、選ばれた人がなるものなのでしょうか。作者は、「誰でもその気にさえなれば、リーダーシップは発揮できる。」と述べています。この本では、そのリーダーの条件として、「率先して範を示せるか」、「先を見通し細部まで気を配れるか」、「合理的に考えた時非情になれるか」など10の条件を示しています。みなさんは今の時点で、この条件にいくつ当てはまるでしょうか。そのどの条件に当てはまるかは、言い換えると自分らしさの1つといえるのではないでしょうか。

 さて、条件としてあげれられている「人を巻き込み同志とできるか。」について考えてみます。キングダムの信は、最初から同志がいたわけではありません。物語が進むにつれ、信のアツい想いに賛同し、多くの同志が集まりその中でリーダー信が誕生します。病院でも同様であると私は考えています。病院は、様々な病を抱えた患者さんが訪れ、その病を治療することを目標としています。この目標を達成するためには、患者さんと医師だけでは限界があります。そこで、よく耳にする「チーム医療」という概念が登場します。1人の患者さんの目標のため、医師や看護師、臨床検査技師、リハビリ、臨床工学技士が1つのチームとなります。つまりは、同志となるのです。その中で、リーダーとなるのは医師と限定するのではなく、状況に応じて専門の職種がリーダーとなる存在になってもいいのではと考えています。

 この本を読んで、「自分もリーダーになれるかも。」と思えるようになるのではないでしょうか。また、将来大学への進学や社会に出た時に、皆さんがリーダーとなる存在になれるのではと期待します。

(医療技術学部 曽我部 将太)

 

竹内 孝仁 『介護の生理学』 株式会社秀和システム、2013年3月

 著者である竹内孝仁先生はリハビリテーション医である傍らで特別養護老人ホームに関わり、自立支援介護の先駆けとなる離床運動やオムツはずし運動などを展開し、在宅高齢者のケア全般に関わられてきた方です。超高齢社会の我が国において益々その重要性と社会的価値が高まっている自立支援介護のパイオニアでもあります。

 介護と聞くと、どのようなことを想像しますか?業務内容をみるとおむつの交換、車いすの操作、食事の介助、着替えの介助などを想像されるのではないでしょうか。本書では、介護はそれだけではないことを実に分かりやすく学べているとともに、主に高齢期の自立支援について触れられており、介護福祉士が自立支援に取り組む重要性を理解することができます。著書のタイトルに生理学とあり、介護に生理学と不思議に思う方も多いことでしょう。しかしながら介護、とりわけ自立支援を実践していくためには生理学の知識が必要不可欠になることを教えてくれます。

 著書には、自立支援を行う介護の方法として竹内孝仁先生が提唱する自立支援介護が紹介されています。自立支援介護の基本ケアとして、「水」「食事」「排便」「運動」の重要性が述べられており、水をよく飲み、食事をきちんと食べ、規則正しい便通があり、しっかりと運動することの重要性が学べます。これらは健康体をつくる上で、当たり前のことでありますが、高齢期になるとこの四つの基本ケアこそに支援が必要になる場合が多くあります。

 この四つの基本ケアを介護福祉士が積極的に行うことで、著書の中ではおむつを使用していた方がおむつが外れ、トイレで排泄ができるようになる、経管栄養であった方が普通の食事を摂取することができるようになる、車いすを使用していた方が歩けるようになるといった自立支援介護の事例が紹介されています。

 介護福祉士としての仕事の素晴らしさ、そして奥深さが分かる一冊だと思います。是非、手にとって頂きたい1冊です。

(短期大学部 植田 裕太朗)